本文ノート
モーメント(トルク)は、力が物体を回転軸のまわりに回そうとする働きです。大きさは次の式で表します1。
M = F × d
F は力の大きさ、d は回転軸から力の作用線までの垂直距離で、てこの腕(モーメントアーム)と呼びます。単位は N·m です。エネルギーの単位 J(= N·m)と次元は同じですが、意味が違うので、モーメントには N·m を使います。より一般にはモーメントは位置ベクトルと力のベクトル積(M = r × F)で、大きさは rF sinθ になります。力が r に垂直なときに最大で、作用線が回転軸を通れば、どれほど大きな力でもモーメントはゼロです1。
臨床で役立つのは「同じ重さでも、遠くにあるほど関節を回す働きが大きい」という読み方です。5 kg の荷物には 5 × 9.8 = 49 N の重力が働きます。腰の回転軸から水平に 0.3 m の位置で持てば荷物によるモーメントは約14.7 N·m、腕を伸ばして 0.6 m の位置で持てば約29.4 N·m で、2倍になります。荷物の重さは変わっていません。
身体の外から働く力(重力、床反力、荷物)が関節に生じさせるモーメントを外部モーメント、筋、靱帯、関節包などが生じさせるモーメントを内部モーメントと呼びます。静止している物体では、力の合計がゼロで、かつどの軸まわりでもモーメントの合計がゼロになります(静的釣り合い)2。つまり静止した姿勢では、内部モーメントが外部モーメントと釣り合っています。
ここで重要なのは、筋は関節の近くに付着しており、てこの腕が短いことです。上半身の重さを仮に 300 N、その重心が腰の回転軸から 0.2 m 前にあるとすると、上半身によるモーメントは 60 N·m です。先ほどの荷物(0.3 m)を加えて約75 N·m。背筋のてこの腕を仮に 5 cm とすると、釣り合うために背筋が出す力は 75 ÷ 0.05 = 1,500 N で、体重60 kg の人に働く重力の約2.5倍になります。背骨にはこの筋力と上半身・荷物の重さが合わさった圧縮力がかかります。この計算は腹腔内圧、靱帯、拮抗筋の同時収縮を無視した単純化で、数値は仮定に依存しますが、「外の荷重より筋力と関節の力の方がずっと大きい」という構造は変わりません。
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腰:実測で見る持ち方の違い
1名の健常男性の椎間板(L4-L5)に圧センサーを入れて日常動作を測った研究では、リラックスした立位で 0.5 MPa、前かがみの立位で 1.1 MPa、20 kg の物を背中を丸めて持ち上げると 2.3 MPa、膝を曲げて持ち上げると 1.7 MPa、体の近くで持つと 1.1 MPa でした3。1名の測定なので数値そのものは一般化できませんが、荷物と上半身のてこの腕を短くすると椎間板の圧が下がる方向は、モーメントの計算と一致します。腰椎にかかる荷重については、生体内の測定と計算モデルの研究を比較した総説があります4。
股関節:片脚立位の計算と実測
片脚で立つと、立脚側の股関節より上にある体の重さは、股関節の内側に作用線をもち、骨盤を反対側へ落とす向きのモーメントを生みます。体重60 kg、立脚側の脚を除いた体の重さを体重の約80%(約470 N)、その作用線と股関節中心の距離を 0.10 m、股関節外転筋のてこの腕を 0.05 m と仮定すると、外転筋に必要な力は 470 × 0.10 ÷ 0.05 = 940 N です。股関節にはこの筋力と体の重さがほぼ同じ向きに合わさり、約1,410 N(約2.4 BW)の力がかかります。
人工股関節に力センサーを組み込んだ4名の測定では、時速約4 km の歩行で股関節にかかる力の平均は体重の238%、片脚立位ではそれよりわずかに小さい値でした5。単純な計算がおおむね実測に近い値を示す一方、結果は仮定したてこの腕の長さで大きく変わります。
杖は長いてこの腕で働く
杖を痛い側と反対側の手で持つと、杖が床から受ける上向きの力の作用線は立脚側の股関節から遠くを通り、長いてこの腕で骨盤を支えます。そのぶん外転筋が出すべきモーメントが減ります。人工股関節の患者24名の研究では、反対側の杖で外転筋の筋活動が31.1%、強く押すよう指示すると42.3%減り、同側の杖では変化がありませんでした6。同側の杖では、力の作用線が股関節の近くを通り、てこの腕が短いためと考えられます。
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角度によってモーメントは変わる
重力によるモーメントは、体節の角度で変わります。体節の重さを W、回転軸から体節の重心までの長さを L、体節が水平となす角を φ とすると、重力のモーメントは W × L × cosφ です。体重60 kg の人の片腕(体重の約5%、約3 kg、約29 N)の重心が肩から 0.3 m にあるとすると、腕を水平に上げたときのモーメントは約8.8 N·m、水平から 60° 下げた位置では cos60° = 0.5 で約4.4 N·m です。同じ腕でも、角度によって肩の筋が支える量が変わります。
座位の膝伸展で足首に重りをつけると、膝を伸ばすほど下腿が水平に近づき、重りのてこの腕が長くなるため、膝を曲げる向きの外部モーメントは伸展位の近くで大きくなります。この運動(OKC の膝伸展)では、前十字靱帯の張力が完全伸展に近い角度でのみ生じたと報告されています8。
体幹の傾きは下肢のモーメントの配分を変える
体幹を前に傾けたまま歩く条件(約25°と約50°)を健常者で調べた研究では、前傾が大きいほど股関節伸展モーメントのピークとエネルギーの産生が増え、足関節底屈モーメントのピークは減りました7。重心の位置が前へ移ることで、どの関節が体を支える仕事を引き受けるかが変わります。脊柱の変形などで体幹が前傾している患者では、股関節伸筋の負担が大きくなることを予測できます。
単位と正規化
関節モーメントは体格の違いを除くため、体重で割った N·m/kg や、体重と身長で割った値で報告されます。モーメントと角速度を掛けると関節パワー(W)になり、正なら筋がエネルギーを生み、負なら吸収していることを表します。
セラピストが見るべきこと
| 外部のてこの腕 | 荷物、上半身、頭部、床反力の作用線が、関節からどれだけ離れて通るかを見る。 |
|---|---|
| 内部のてこの腕 | 筋のてこの腕は短く、外の荷重より大きな筋力が必要になることを前提に、関節の圧縮力を考える。 |
| 角度 | 同じ体節でも、水平に近いほど重力のモーメントが大きい。痛みが出る角度とモーメントが大きい角度が一致するかを見る。 |
| 配分 | 体幹の前傾、膝の曲げ方、股関節の使い方で、腰・股関節・膝・足関節のどこが仕事を引き受けているかを見る。 |
| 補助具 | 杖の持ち手、荷物を持つ側、手すりの位置で、てこの腕がどう変わるかを確かめる。 |
| 推定の限界 | 計算はてこの腕の仮定で大きく変わる。数値は方向と桁の目安として使う。 |
臨床での使い方
モーメントの考え方は、生活動作の工夫にそのまま使えます。荷物を体に近づける、一歩踏み出して荷物の近くに立つ、作業台の高さを合わせる、股関節と膝を使ってしゃがむ。どれも、外部のてこの腕を短くすることで、筋と関節が引き受ける力を小さくする方法です3。前かがみそのものを禁止する必要はありません。問題になりやすいのは、てこの腕が長い姿勢が長く続く、繰り返しが多い、ほかの選択肢がない、といった条件です。
股関節の痛みでは、杖を反対側の手で持つ、荷物の持ち方を工夫するといった提案に、力学の説明を添えられます6。膝の運動療法では、OKC の膝伸展で重りのてこの腕が長くなる角度を意識して範囲を選びます8。体幹が前傾している患者では、腰だけでなく股関節伸筋の負担も評価に含めます7。
患者説明への変換
同じ重さでも、体から遠いほど、体はそれを支えるために大きな力を使います。持ち方や立ち位置を変えると、必要な力が変わります。
患者には、長い説明より体験が伝わります。ペットボトルを胸の前で持つ場合と、腕を伸ばして持つ場合を比べてもらうと、距離が負担を変えることがすぐに分かります。その体験を、荷物の持ち方、立ち上がり、しゃがみ込み、杖の持ち方へつなげると、生活の提案が押しつけではなく、一緒に試す工夫になります。
