本文ノート
国際疼痛学会(International Association for the Study of Pain:以下、IASP)は2020年に痛みの定義を41年ぶりに改訂し、痛みを「実際の組織損傷や潜在的な組織損傷に伴う、あるいはそれに似た、感覚的かつ情動的な不快な体験」と定めました(原文:An unpleasant sensory and emotional experience associated with, or resembling that associated with, actual or potential tissue damage)1,2。改訂は14人の国際的なタスクフォースが約2年かけて検討し、会員と一般からの意見を分析したうえで、IASP理事会が全会一致で採択したものです2。
定義には6つの注記が付いています1。
- 痛みは常に個人的な体験であり、生物学的・心理的・社会的要因の影響を程度の差はあれ受ける。
- 痛みと侵害受容は異なる現象であり、感覚ニューロンの活動だけから痛みを推測することはできない。
- 人は人生経験を通して、痛みという概念を学ぶ。
- ある体験を痛みとする本人の報告は尊重されるべきである。
- 痛みは通常は適応的な役割を持つが、機能や社会的・心理的な健康に悪影響を及ぼすことがある。
- 言葉による表現は痛みを表す行動の一つにすぎず、意思を伝えられないことは、人や動物が痛みを体験している可能性を否定しない。
1979年の旧定義には「そのような損傷の言葉で表現される」という一節がありました。改訂でこれが外れたのは、言葉で説明できることを痛みの条件にすると、乳幼児、認知症のある人、言葉を持たない動物の痛みが定義から外れやすいためです2。「あるいはそれに似た」という語句が加わったことで、はっきりした組織損傷が見つからない痛みも定義の中に含まれます。
この定義は、臨床で次の2つの事実と結びつきます。1つ目は、画像所見と痛みが比例しないことです。痛みのない人を対象にした系統的レビューでは、椎間板変性の有病率は20歳代で約37%、80歳代で約96%、椎間板膨隆は20歳代で約30%、80歳代で約84%でした5。所見は大切な評価材料ですが、所見だけで痛みの強さや生活の制限は決まりません。2つ目は、状況が痛みの体験を変えることです。重い戦傷を負った兵士の多くが、鎮痛薬を求めないほどの痛みしか訴えなかったという古典的な観察は、損傷の大きさと痛みの強さが一対一で対応しないことを示した初期の報告として知られています6。
定義は「痛みは気のせいではない」と弁解するためのものではありません。本人の報告を出発点に置き、身体の入力、神経系の処理、睡眠、気分、仕事や家族の状況を同じ評価の中で扱うための共通言語です1,4。
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感覚と情動の両方を含む
定義の「感覚的かつ情動的」という言葉は、痛みに2つの側面があることを示します。1つは場所・強さ・質(鋭い、重い、焼ける)を見分ける感覚識別的側面、もう1つは不快さと「逃げたい」「守りたい」という動機づけを生む情動動機的側面です。たとえば同じ強さの刺激でも、原因が分かっていて安全だと理解している時と、何が起きているか分からない時とでは、不快さの評価が変わることがあります。
認知と社会をどう扱うか
2016年には、定義に認知的・社会的要素も含めるべきだという提案がありました3。タスクフォースはこの議論を検討したうえで、本文は「感覚的かつ情動的」のまま残し、生物学的・心理的・社会的要因の影響は注記1で明記する形を選びました2。痛みを多面的に理解する生物心理社会モデルは、慢性痛の研究で広く支持されてきた枠組みです4。ただし、どの要因がどの程度効いているかは人によって違います。モデルは「全員に心理的要因がある」と決めつけるためではなく、評価で見落としを減らすために使います。
定義は合意であり、測定法ではない
ここで区別しておきたいのは、定義そのものは研究結果ではなく、専門家の合意(コンセンサス)だという点です2。定義は「何を痛みと呼ぶか」を決めますが、痛みの原因や治療法を直接教えるものではありません。原因の推定には、侵害受容、感作、神経の病変、レッドフラッグの確認など、別の知識と評価が必要になります。
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痛みと侵害受容の違い
IASPは侵害受容を「侵害刺激を符号化する神経の過程」と定義し、痛みの感覚を必ずしも伴わないと注記しています1。全身麻酔下の手術では侵害受容は起きていても、意識的な体験としての痛みはありません。反対に、明らかな侵害刺激がなくても痛みが生じることがあります。注記2が「感覚ニューロンの活動だけから痛みを推測できない」としているのはこのためです1。
侵害受容の信号は脊髄後角で次の神経へ渡されますが、その伝わり方は一定ではありません。脳幹の中脳水道周囲灰白質(periaqueductal gray:以下、PAG)や延髄吻側腹内側部(rostral ventromedial medulla:以下、RVM)から脊髄へ下りる経路は、セロトニン、ノルアドレナリン、内因性オピオイドなどを介して、後角での伝達を抑えることも強めることもあります7。情動、不安の程度、注意や気そらし、過去の経験や記憶が痛みの体験を強めも弱めもすることが知られており、こうした「トップダウン」の調節回路は、損傷の程度が似ていても痛みの体験が人によって大きく違う理由の一部を説明します7。
「学ぶ」という注記の意味
注記3は、痛みという言葉の意味が経験を通して身につくことを述べています1。子どもの頃に転んだ時の周囲の反応、家族の痛みへの向き合い方、過去の治療経験などが、「どの感覚を痛みと呼び、どの程度危険と感じるか」に影響します。臨床で「前にもこういう痛みがあって、その時は〜だった」という語りを丁寧に聞くのは、この学習の履歴を知るためです。
語源
改訂では注記に語源も添えられました2。英語の pain は、ラテン語の poena(罰、刑罰)、さらにギリシャ語の poinē(償い、罰)にさかのぼります。痛みが「罰」や「償い」と結びつけて語られてきた歴史は、患者が「自分が悪いから痛い」と感じる場面を理解する手がかりにもなります。
セラピストが見るべきこと
| 本人の言葉 | 鋭い、重い、焼ける、しびれる、怖い、また出そう、などの表現をそのまま記録する。言い換えずに残すと、経過の比較に使える。 |
|---|---|
| 感覚と情動 | 痛みの強さと、不快さ・不安の強さを分けて聞く。強さは同じでも不安が下がれば、動ける範囲が増えることがある。 |
| 所見との対応 | 画像・姿勢・足の形・可動域の所見と、痛みの場所・誘発動作が対応しているかを確かめる。対応しない所見を原因として説明しない。 |
| 生活上の意味 | 歩行、睡眠、仕事、家事、介護、趣味のどれが止まっているか。痛みで何を避けているか。 |
| 伝える手段 | 言葉で表現しにくい人(高齢者、認知機能の低下がある人、子ども)では、表情・動き・活動の変化も評価に加える。 |
| 安全確認 | 強い外傷、発熱、進行する神経症状、排尿排便の変化などは、定義の話より先に確認する(レッドフラッグ)。 |
臨床での使い方
問診の組み立て
定義を知っていると、問診の質問が変わります。「どこが痛いですか」に加えて、「その痛みがあることで何を避けていますか」「どの場面なら少し楽ですか」「その痛みをどう理解していますか」と聞けます。痛みの強さだけでなく、痛みが生活の中でどんな意味を持っているかを見にいくと、評価は治療テクニックの前段階ではなく、説明と方針づくりの一部になります。
順番
最初に危険サインを確認します。強い外傷、発熱、原因不明の体重減少、進行する筋力低下、排尿排便の変化があれば、医療機関での評価を優先します。そのうえで危険性が高くない場合に、組織への負荷、神経系の感度、睡眠や不安、仕事や家事への影響を順に整理します。「壊れているか、何もないか」の二択から離れ、「どの条件で痛みが増え、どの条件で減るか」という観察に移ります。
所見の扱い方
画像や姿勢の所見を説明する時は、「この所見は痛みのない人にもよく見られます。いまの痛みとの関係は、動きや経過と合わせて判断します」と位置づけると、所見を軽視せずに過度な不安も避けられます5。単一の原因を断定する説明(「骨盤がずれているから痛い」「足が悪いから痛い」)は避けます。
次に読む
侵害受容で入力と体験の違いを、痛みの分類で機序の整理を、痛み評価で記録の方法を確認できます。
患者説明への変換
いま感じている痛みは本物です。痛みの強さは、傷の大きさだけでなく、神経の感度、睡眠、疲れ、不安、動き方によっても変わります。まず危ないサインがないかを確認し、そのうえで動きやすい条件を一緒に探していきましょう。
強い痛みを訴える人ほど、「壊れているかどうか」を早く知りたがります。その時にすぐ単一の原因を示すと、その場では安心したように見えても、あとで動くことへの怖さが残る場合があります。「現時点で確認したい危険サインはこれです」「ここから先は、痛みが増えにくい範囲を一緒に探します」と区切ると、評価と説明がつながります。
画像の所見を気にしている患者には、「同じような変化は痛みのない人にも多く見られます。だからこそ、画像だけでなく、どの動きでどう変わるかを一緒に見ます」と伝えます。痛みを否定せず、所見を怖がる理由も減らす言い方です。
